自然と人の交差点、奄美大島
奄美大島では一か月半の滞在の中で、マングローブ公社で3週間、けいはんひさ倉で2週間働かせていただきました。マングローブ公社ではマングローブの森をカヌーで行くツアーのガイドを、けいはんひさ倉ではホールだけでなくガラを洗ったりという調理準備の仕事もさせていただきました。
どちらも観光のお客様からの大人気のスポット。奄美大島に旅行に来た人たちが必ずと言っていいほどに立ち寄るスポットです。提供するものは、マングローブ公社はカヌーツアーというサービス、けいはんひさ倉は食事で、一見異なるものを提供しているように思えますが、もう少し抽象化すると、どちらも奄美でしか味わえない経験を提供しています。マングローブ公社はなかなかない大規模なマングローブに入るという経験、けいはんひさ倉は鶏飯という島の郷土料理の形に変えて。
島の魅力を観光で来たお客様に味わってもらうというところで二つの就業先は一致していました。その中で働くということは当然、マングローブがどんなおもしろさを持っているのかを知らなければなりませんし、鶏飯がどのように作られ、どのように食べるのか、どんな味がするのかを知らなければなりません。それらをもってして、島の外から来た人(時には中の人にも)へと奄美大島はこんなに素敵なところなんだよというのを伝えます。
そのように、魅力を伝えるというわかりやすい仕事がある一方で、その裏側には両就業先ともにお客様へのたゆまぬ心遣いがありました。
マングローブ公社では、カヌーツアーに出ていない人はパーク内の草刈りや、清潔なものを貸し出すためにサンダル・ライフジャケット掃除などをします。また、なるべく乾いたライフジャケットを着てもらうためにライフジャケットを買うという設備投資がされています。
けいはんひさ倉では、美しいスープのために、鶏のガラを洗うところからかなり丁寧に内臓や血の塊をとったり、鳥刺しを扱うということもあり、衛生面の指導や実践が徹底されています。また、忙しい中でできた隙間時間では、ガラスの掃除や厨房の大規模な掃除などもおこなわれています。
これらの仕事は、ツアーのガイドや提供される鶏飯からしたらはっきり言って地味かもしれません。しかし、どんなにマングローブが壮大でも、どんなに鶏飯がおいしくても、カヌーやサンダルが泥だらけだったり、ライフジャケットが湿っていたり、店内が清潔でなければ、それらの魅力を感じる前にお客様は不安や不満を抱いてしまいます。だからこそ地味な仕事を丁寧にやる。トップの観光スポットはそうした当たり前の仕事にぬかりがないなと感じました。
島でしかできない仕事を見に来たようで、もっと当たり前のことを学ぶ良い機会になりました。
奄美に来て、もちろん海の美しさ、山の美しさ、料理のおいしさは死ぬほど堪能してきましたが、地域文化の独特さと楽しさもまた一つの大きな収穫です。
島にやってくるに至って、知り合いになった方が地域文化をたくさん紹介してくださいました。八月には八月踊りやお祭り、九月には小中学校の運動会に参加しました。どちらのイベントも肝となるのは「集落」。同じ地域に住む人々で作り上げられる行事として、踊りも運動会も存在しています。都市にいると集落という感覚はなくなって久しいですが、島ではしっかりとその感覚は生き残っています。
まず、八月踊りやお祭りです。八月踊りは旧暦のお盆の日におこなわれる地域に伝わる唄と踊りです。集落の人が集まり、土俵を囲み、夜な夜な踊ります。もちろんお酒も飲んだりもします。ちなみに豊年祭の際には相撲がおこなわれるので、この土俵は祭事と強く結びついていることがわかります。もちろん僕はシマの人間ではないので、踊りも唄も全く知りません。そのため見学の予定でしたが、参加OKということでしたので、踊ってみることにしました。とにかく見様見真似で踊ってみる。ひとつの唄は何番とあるので同じ踊りが繰り返されます。少しずつ覚えていきます。最初は覚えるのでいっぱいですが、なんとか踊れるようになってくると、楽しさが徐々にわかってきます。楽しさとひとくちにまとめるのももったいない、何とも言えない高揚感というか、恍惚としてくる感じというか。なんとも言えず身体があったまってくる感覚を手に入れます。昨日までゆかりのなかった土地だけど、数分前まで踊りを知らなかったけど、この感情。ならば土地にゆかりがあって踊りも唄も知っている人ならなおさら?この空間にいて唄を聞いていると勝手に踊りが思い出されていくというような人もいました。不思議な地域文化体験。地域の人が溶け合うような時間でした。昔はこの踊りを朝方までやったと聞きました。パワフルさもさることながら、そこで得られる感情はどんなものなのだろう。
九月には小中学校の運動会に参加しました。小中学校の運動会ですが、学校行事というよりは地域行事としての色が強い。児童は全部で18名。(これでも瀬戸内町ではれっきとしたマンモス校!)子どもだけで競技をしたら間違いなくお弁当の蓋を開けることなく全競技が終了します。だから、地域の大人たちがみんな参加します。学校に子どものいる親御さんはもちろん、学校に子どものいないおじいさんおばあさんまでみんなが競技に出ます。走る競技などの一般的な競技もちろんありますが、グラウンドゴルフやテル(奄美で使われる籠)を使った競技や焼酎のビンを使った競技までローカル色の強いバラエティ豊かな競技が用意されています。チームは地区対抗。それぞれの地区がプライドをかけて競い合います。未就学児からおじいさんおばあさんまでみんなが参加する運動会。学校行事の枠をはるかに超えた地域行事。ひいてはお祭りと呼ぶこともできそうです。楽しい。自分の運動会より楽しんだかもしれない。少なくとも高校の運動会よりは楽しかったです。
集落をベースにしておこなわれる奄美の地域文化の数々。すべてに触れられたわけではありませんがどれもとても楽しかったです。小さな地域で密度高く盛り上がるからこそのものなのかなと思いました。
奄美と聞いて、多くの人は美しい海を思い浮かべるでしょう。そして、いざ来てみて山を見て、その多さと山の美しさに驚くことでしょう。
確かに奄美大島は海と山の島です。日の出から日没まで美しい景色を僕たちに見せる海と、多様な生き物をそこに抱え、「水は山おかげ」という言葉があるように水の美しさを守る山は奄美の持つ最大の魅力です。
でも実際に1か月半島にいて感じたのは、その自然と共存してきた島の人々の存在です。奄美の美しい自然は奄美の人々なくしては成立しないと僕は思っています。開発を進めるために山が切り拓かれれば、そこに生きる希少な生物たちは住まいを失い、姿を消し、開発のその先で生まれた汚れた水は美しい海を汚します。でもそれがあまり起こらなかった。その背景には奄美の人々の自然への信仰心があります。海や山に神さまがいることがわかっていたから、開発があまり好まれず、この島の自然は守り抜かれました。開発が疎まれたのは、薩摩に支配された時代などにもさかのぼることができます。現在の奄美の美しい自然は、自然を崇め、上手に共存しようとしてきた奄美の人々が作ったものとも考えられそうです。
自然の魅せる素敵なワンシーンワンシーンに滞在中何度も心を打たれました。ですが、その自然が生き残った背景にある奄美の人々の信仰文化を知ると、なおのこと奄美の自然が愛しく見えました。
ありがとうございました。毎日が刺激的で素敵な日々の連続で、血縁も地縁も何もないのにこれだけの愛が生まれました。受け入れてくださった島の方々にありったけの感謝をお伝えしたいです。