一歩踏み出して海士町へ
私は、島キャンの就業期間の2週間、「島キャンって何?、島おこしインターンって何するの?」という問いを何度も言われ、考えました。島に行くと、びっくりするくらい何もできない“よそ者”である自分とまず向き合うことになります。私はその時間が自分を成長させてくれたと思っています。2週間で私自身一人でできることはほとんどありません。私がそんな中できた努力は2点です。
一つ目は、お客さんに1日1回はおすすめの商品を伝え説明する、または、海士町の良いところを伝えるということです。これは、インプットアウトプットの練習としておこなっていました。2週間膨大な情報を島にいると見聞きすることができます。それを自分なりの言葉にして、何も知らない人に伝えるという仕事は、私がよそ者だからこそできること、また一人でもできる仕事だと思い、取り組みました。
二つ目は、島の人とお話しをする、または、一緒にご飯を食べるということです。私は暇な時間があれば、島に住む人や島を訪れた人とお話しをしました。そこで出会うたまたまの関係は、次第に顔見知りになり、知っている人になり、関係は信頼に変わります。そこから、これやってみる?と任せてくれる仕事が増える、その努力が実ったときは本当に嬉しかったです。最初は掃除や接客、そこから自分なりの仕事、島キャンに繋がりました。
海士町は、高齢化率約40%、人口約2300人のうち500人以上が高齢者です。これだけ聞くと、えっどうするの?やばいじゃん、と思うかもしれません。私も実際、行く前そう思っていました。しかし、海士町は全く暗い雰囲気じゃないです。こればかりは行かないと分からないです。島全体が活気がなく暗いのかなと思っていましたが、海士町は活気がありますしコミュニティもしっかりあります。事実、海士町では、ホームレスもいませんし孤独死はゼロです。世代間交流や日常的に交わされるコミュニケーションは東京には確実にない繋がりだと感じました。また、海士町で驚いたことはまだあります。
海士町の人は本当によく働きます。信じられないくらい働きます。皆、朝起きて、商店や職場で働いた後、農業や釣りをしてから家に帰ります。その裏には収入が厳しいからとか食費の節約になるからとかがあるのかもしれません。ですが、一緒に働いた後、この後じゃがいもを植えるよ、と楽しく言う人を見て私は、大変そうだなとは思いませんでした。みんなでできたものをシェアしているし商店に並べられている。私も実際働いた後、釣りをしたり散歩をしたり泳いだりしていて「何この自然の力!すごい!」っと思わされました。
もう一つは、海士町全体が教育の場になっているということです。私は海士町で隠岐牛や蜂蜜など、2週間海士町産のものを食べ続けて思いました。海士町では自分が食べたものが目の前にいたり(隠岐牛とか)、野菜も近所のおじさんが作ってくれたものだったり、本当に命をいただいてると感じられる場所です。いただきますを言う意味も、ご飯を残さず食べる理由も、海士町に住んでいると自然と学ぶ事ができます。だから、自分の身体がどれだけ大切で、皆が自分をどれだけ大切に思っているのか学ぶ場にもなります。自分を知るという教育を皆ができる場所、それが海士町だと感じました。
島に行く前も行ってからも、「なんで離島に行くの?来たの?」という質問を何百回とされました。突然ですが、島キャンは明確な理由がないと行く意味はないと思いますか?
なぜ海士町に行きたいって思ったのか。
私は正直なんとなくで、ここに行きたいなと唐突に思ったのが正直なところです。それはいけないことなのでしょうか?海士町に行くという決断は私の19年間の人生ですごい大きな一歩でした。今まで、「意味が明確なもの」ばかり求めていたし、「確実なもの」ばかりに挑戦していたと思います。確実で明確なものへの挑戦もそりゃ難しいけれど、不安は少ないし応援は多いと思います。私にとって島キャンは不確かで不明確、目的や意味も島へ行くまでわからず、でも私は初めてそれをやりたい行きたい、知りたいって心で感じました。でもそれを、なぜ?どうして?って追究されると上手く説明できないので、親からも反対されたし周りからの視線や意見も冷たいものでした。
しかし、それは一部の意見で、海士町に行って「こんな自分です。色々教えてください!」というと、受け入れてくださる方が本当に多かったです。
「それでもいいじゃん」
と海士町到着して二日目で言われたとき「海士町に来て良かった」と心から思いました。自分の意思で到着した場所で出会えた人と話せるって本当に不思議な経験だと思います。不確かな一歩から私の島生活は充実していきました。
皆さんも是非不確かな一歩を踏み出してみてください。