“何もない”って素晴らしい
私たちの就業先では、他の就業先のように仕事の内容が決まっているわけではありませんでした。初日に打ち合わせをしたものの、天候の悪化などさまざまな理由で大幅に変更。明日は、何をやろうかと島の方と話し合いながらの2週間でした。具体的な就業内容は、宿泊していた集落の目の前の海岸の清掃や、展望台へ続く山道の草刈りなどです。どれも、個人のお仕事を体験するのではなく、島のためのお仕事ばかりでした。集落の人が集まる海岸だから、観光客か登りやすいように、人のため・島のためを思っておこなう作業です。きっと誰かがやってくれるだろうではなく、自分たちでやろう!という気持ちが感じられました。その気持ちが無ければ、個々の仕事に行く前の忙しい朝や、休日の時間を使って島のための仕事はできないと思います。個々のことを考えることで精一杯の都会とは大きく異なることだと思いました。
誰かのためを思うことが大前提で、お金をもらう職業はたくさんあります。もしかしたら、どんな職業でも、誰かのことを思う仕事かもしれない。しかし、お金をもらうことだけを対価とするのは、はたらくとは言えないように思います。誰かを思い行動することは、人と人とを繋げ、笑顔や結束を生みます。これは、お金をもらってはたらくよりも大切で、生きていく上で根底にあるべきものなのではないだろうかと2週間を通して感じました。
島キャンの説明会の時、加計呂麻島は島キャンの就業先の中でも特に大変な場所と説明を受けました。本当に何も無いところだよ、だけどそれが加計呂麻島のいいところだと。その時は、何も無いことの何がいいんだろう、いいわけないじゃないかと思ってました。ですが、実際に行って2週間過ごしてみてその意味が少しわかったような気がします。
島にいた2週間、退屈だなぁと感じたことはありませんでした。外に出れば誰かとばったり会ってお話ししたり、お家を訪ねればどんどん人が集まってきて、気づいたらパーティー状態(笑)。子供たちと会えば、釣りやカードゲーム。ただ海を見ながらお話するだけで充実した時間でした。
これは、何も無いからこそできることなのではないかなと思います。夜の海で星を見あげる楽しさは島に行かなければわからなかったです。何も無いから星が見える。静かな場所だから波音とふくろうの声に耳を澄ますことができる。何も無いから人と人との関係が密になる。
そんな体験を島キャンでして、何も無いということは不純物がなく、本当に大切なものがきちんと見える状態なのではないかと思うようになりました。
宿泊した秋徳集落の小・中学校の運動会に参加させていただきました。
秋徳小・中学校の生徒6名と秋徳集落、お隣の野見山集落のみんなで参加する大運動会です。生憎の雨でプログラムの変更もありましたが、とても楽しかったです!
生徒6人の一輪車団体演技は息がピッタリ合っていて6人の絆を感じました!感動!