加計呂麻島で「生きる」を知る
離島や田舎には仕事が無いと言われる。間違ってはいないと思うが、それは今は無いだけであって、可能性が無いのとは違うと実感させられた。「お仕事は何をされてるのですか?」という質問に、明確な答えが帰ってくる事は少ないが、あんな事もしている、こんな事もしている、これもやりたいけど今は手が回らないと、むしろ忙しく動き回っている印象の方が強く残った。それでもいわゆる島時間と言われるゆったりした感覚を覚えるのは、都会のように9時〜18時の定時というニュアンスがないから、そしてそういう基準では動けないからだろうか。
あしたの加計呂麻島プロジェクトでの就業も、仕事内容は日毎に変わり、出来る事を出来る時にやる、という島の元々の生活スタイルは持ったまま、20年先の加計呂麻島が元気でいられる為にをテーマとして、まだまだ模索している真っ最中で、何よりそのプロジェクトに向けて動いている人達が、バイタリティーに溢れている事。何もない加計呂麻島だが、大きな可能性が有ると思えた2週間だった。
人口減少が離島の最大の問題で、特に多い年代は60歳前後の方々が現在住んでいる。少ない年代は10代後半〜40代。加計呂麻島には高校が無いので、高校は奄美大島へ渡らなければならない。勿論大学も無いので進学する人は島を離れ、そのまま内地で働く事が多い。今住んでいる60歳前後の方々も、1度内地へ行き、Uターンで戻ってきた人がほとんどのようで、島を出る事なくそのまま住んでいる人は80歳以上の方々くらいかもしれない。
都会に比べ島は様々な行事が多く、島人は忙しい。祭り事や集落の話し合いの集まり、台風後の海岸清掃などは住人全員が参加する大仕事でした。年代問わず集落を大事に思う気持ちは皆に受け継がれていますが、島を離れる空白の時間が誰しも有り、その時に失われてしまう物事もやはりあるようです。年配の方達に聞いた昔話を、Uターンの60前後の方々に話しても「それは初めて聞いた」と言われたり。祭りの歌や踊り、集落の歴史や言い伝えなど、失われて欲しくないものが、今まさに忘れられ、失われていっている現実があった。仮に移住者の受け入れで人口増加が成功しても、失われたものが戻る事はない。元々の島出身者が島を離れる事の無い環境作りと、昔話を次の世代に残していく語り部を担う人がいてほしいと思った。
最初に感じた事は、島は狭い社会であるが故に、不安や制限が多いのだと。
本来、大学生を対象とした島キャンに社会人で参加した私。受け入れる集落の方達から「なぜ?何の為?」と聞かれる事から始まりました。私は以前に加計呂麻島を訪れた事が有り、その時に感じた事、思った事を、良いも悪いも正直に伝え隠さなかった事が、その後の島人との関わりの深さに繋がったと思います。
言われるがままや、声かけてもらえるのを待っていては島では何も始まらず、また周りにも何を求めているのか伝わらない。自分が何の為にここに居て、何が出来るのかを伝え、実際に行動すると確実に周りはそれに応えてくれる。都会では放っておいても社会は動いて行くが、島では各自が行動し、社会を動かして行かなければいけない。
よく聞く言葉で「人は生きているのではなく、生かされている」と言い、それに同意していたのだが、加計呂麻島での2週間は、まぎれも無く自らの意思での「生きる」であった。