「新しいなにか」を見つけられる島
今回、「あしたの加計呂麻島プロジェクト」に参加することで、地域復興の課題を目の当たりにしました。このプロジェクトの目的は主に3つの事業に取り組み、次世代に繋がる豊かな島にすることです。こちらに就業する前の私は、地域復興とはみんな同じ方向を向いて積極的に取り組むものだと考えていました。しかし、島の方々のお話しを伺ううちに島内でのプロジェクトの認知度の低さ、プロジェクトメンバー間での意見のすれ違いなどを感じ取りました。15名程が中心となって活動していますが、区長、農家、議員などの仕事をしながらプロジェクトに参加している方が多い為、活動したくても時間がない、人手が足りないといった厳しい状況があるようです。実際に畑の伐採を手伝わさせて頂きましたが、かなりの重労働で、伐採だけで1日を潰してしまいました。このプロジェクトの大きな課題は人口不足、特に若者がいないことだと感じました。現在の加計呂麻島では50代が若者といわれる現状です。せっかく計画が立てられても、それを遂行する労働力が足りなければ意味がありません。事業を展開し、人口増加を図るプロジェクトの課題が、人口減少のために事業を展開することが難しいということ。この矛盾が地域復興の厳しい現実を象徴していました。しかし、「加計呂麻島を子どもに誇れる島にしたい」といった気持ちを多くの方が持てば、この厳しい状況を打破できるとも思いました。
加計呂麻島での生活は、私が今までしてきた生活とは異なる点ばかりでした。コンビニやスーパーなどが無いことや、人口が少ないことなど色々ありますが、特に人との距離の近さを強く感じました。例えば、島では通りすがりの方に挨拶をします。これは地元ではやらないうえに、運転席から会釈をするなど考えもしませんでした。また、せっかく捕った大きな魚や猪肉などをみんなに振る舞ったりもします。これらは、何も無いからこその行動だと私は思います。コンビニやスーパーが無いからこそ、みんなで食材や道具を共有する。人口が少ないからこそ、人との関係が強くなる。その証拠に2週間という短い滞在でしたが、人の温かさを強く感じました。また、自然も豊かで耳を澄ませば波音が聞こえ、夜には天の川や流れ星を見ることができました。島の方が言う「何も無いのが島の魅力」の意味が滞在することで理解できる一方、物がありすぎる生活を過ごしていた私にとってこの生活はとても衝撃的でした。物があればある程、生活は豊かになるといった価値観が覆されました。色々な違いを感じ取ることで、視野を広げることができる。これは私にとって、とても良い経験になりました。
お世話になった秋徳の小中学校では、6人の生徒が通っています。そのうち中学3年生は2人で、島の子供たちは卒業後に島を出て高校へ通います。以前はBBQなどをしていた子ども会も、近年は企画側、参加する子どもの人数も少ないことから図書室で読み聞かせといった形をとっているようです。そこで私たちは来年に島をでる子がいることもあり、子ども達の為の花火大会を企画しました。花火大会には多くの子どもが集まってくれました。運営して思ったのは、子どもの人数が少ないことから、全員が島の若者や先生方とも同い年のように仲良くしていました。このような関係は初めて目にしたのでとても新鮮な一方、同年代の友達しかいない私にとって羨ましいものでした。他にも19時に体育館でバレーボールやバトミントンをしたり、海で遊ぶなどたくさん子供たちと交流をすることができました。島の子ども達は時間があれば浜に行き、波音を聞きながらゆったりとした時間を過ごしていました。浜にいた寮通いの子が「こんな贅沢な時間はない。寮生活は時間に迫られるからこの時間がとても心地よい。」と教えてくれました。これは寮生活だけではなく、私たちの生活でも言えるのではないでしょうか。少なくとも島から帰った時、すれ違う人がそれぞれ時間に迫られているようにみえました。こんな贅沢な時間を過ごせるという魅力は、実際に島に滞在しなければ分からないものです。是非、多くの方々にこの魅力を知ってもらいたいです。その為にも、島に滞在し魅力に気がついた私たちが加計呂麻島の情報を発信していくべきだと思いました。
2週間という短い滞在でしたが新しい経験、価値観、出逢いを見つけることができました。お世話になった全ての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。