みんなに優しく、自分に優しく、自然にも優しい与論島
大学で始めたダイビングがきっかけで、海や島に惹かれるようになった私は、この夏“お客さん”としてではなく、“島で暮らし、働く人”の視点を知るべく与論島へ。SUPよろんではSUPガイドの補助が主な仕事で、7歳から70歳まで幅広い年齢層の方々と接する機会がありました。そうした多くの方々と接する仕事をする身として、お客さんが安全に楽しむサポートをする立場として大事にすべきことは、「お客さんひとりひとりを尊重する気持ち」だと感じました。お客さんの中にはSUP未経験の人もいれば経験者もいる。コツをつかむのが早い人もいれば、じっくり上達する人もいる。できるだけ遠くまで行きたい人もいれば、のんびり楽しみたい人もいて、技量や楽しみ方は人それぞれです。そこで求められるのは、その時の状況を判断し、相手のために自分がどう動くべきかを考えること。マニュアル通りでは決してできない仕事です。また、安全確保に関して、単にお客さんと一括りにせず、イチ個人として接するために、ひとりひとり名前で呼ぶ工夫や、道具説明の伝え方、危険を知らせる時も楽しませる時も常に「相手目線で考え、行動する」姿勢・意識を学ぶことができました。
与論島といえば、白い砂浜に透き通ったエメラルドグリーンの海。お客さんからすればとっておきの観光スポットであり、その圧倒的な美しさに魅了されることでしょう。一方、島で暮らし働く人にとってその海は、命の恵を頂く場であり、仕事の場でもあります。たとえ同じ海でも一時的な視点と長期的な視点では見えてくるものが違います。それに気がついたのは、SUPよろん池田さんの「島に帰ってきて、海の漂着ゴミが気になった。」というお言葉があったからこそでした。もしも私がお客さんの立場だったら、砂浜にゴミが落ちていようがお構いなしに、きっと見なかったことにして気にも留めないはず。けれど、池田さんにとっては自分が生まれ育った場所・毎日の暮らしと仕事に関わる場所だからこそ、島の自然の変化に気がつき、故郷の海がゴミで汚れていることがショックだったのだと思います。今なお百合が浜以外のどこの海にでも漂着ゴミが存在すること、生活排水が流れる排水溝のその先のこと。身近な自然が自分の生活に密着していることが実感できる島での暮らしは、見ようとしなければ見えない現実を私に教えてくれました。
島キャン生として過ごした2週間、与論島では毎日のように新しい人と素敵な言葉に出会いました。一度東京に出て島に戻ってきた人、もともと旅人の島人、仕事や第二の故郷に帰るように関東と島を行き来する人、マリンスポーツをするために移住してきた人、地域おこし協力隊で移住した人など、様々な生き方・働き方・考え方に触れ、将来のヒントを沢山もらった気持ちです。その中でも強く印象に残っている「(僕が)与論島で一緒に働いている人たちは、自分のやりたいことや仕事に没頭していてみんな目が輝いている。」という言葉。島に来て間もない頃の不安な私に、バスの運転手さんが「その目で見たものはすべて経験になるよ。」と島を思い切り楽しむよう背中を押してくれた言葉。日数が残りわずかの頃、ある島人の「与論島にはもちろんマイナス面はあるけれど、プラマイゼロでちょっとプラス。そのちょっとがとっても幸せだから、与論に来てよかったと思ってる。」という言葉。そして「与論に来て、文化や行事を通して祖先のありがたみをすごく感じるようになった。」と最後に聴いた民謡で心がとてもあたたかくなったあの瞬間。どれも何気ない会話の中の一言・一瞬に過ぎないけれど、ずっと大切にしたい思い出です。