「えん」に活かされ生きる私たち
「いつか自然に囲まれた島で過ごしたい。それなら今、島生活を体験するべきではないか。」
私は自然が好きで、大学でもそれを専門としているのに、アルバイトではただお金稼ぎの為にそれとはかけ離れた単純作業をしています。この言葉は「好きと働くは結びつかないのか」という自分の中の葛藤によって出た本音でした。
そして私は自然と共に生きている「えん」に惹かれてそこで過ごすと決心しました。
自給自足を体験した最初の感想は「自然で生きるってとても大変だ」というものでした。塩屋さんのごりりん(=小野敬さん。くらしの学校「えん」代表)の生活は、朝日が昇る前に塩作りのための薪を炊くところから始まり、私が寝ていた部屋から見えるその炎は夜中まで光り続けるほど忙しい1日です。また台風の影響で海水を汲み取れない時には、ごりりんは海岸までバケツで海水を汲みに行き、二日間で計5トンの海水を運びました。でも私は「えん」で「疲れた」という言葉を聞いたことがありません。それはきっとそれを支える多くのものがここにはあるからだと私は思います。その内の一つは「縁」です。「えん」で過ごしていると、薪を提供してくださる廃材業者さんに出会ったり、ブログでごりりんたちの人柄を知って塩を購入するお客さんがいることを知ったり、家事から動物のお世話まで何でもして下さる「えん」のスタッフさんに出会えたりなど多くの人と人の「縁」を感じます。縁はお金では買えません。その「縁」の根底にあるものはごりりんたちの初心を忘れない生活と縁に感謝し続ける姿勢です。私は「縁」からお金では買えないものを学び、それに支えられて働くという体験をしました。お金とネット社会に埋もれていた私が見失っていたものは、これであると気づけたのは貴重な体験でした。
私の島生活を語る上で欠かせない存在がいます。
それは「えん」に山村留学に来ている子供達(小学生3人、中学生1人)です。
ここでの山村留学は自然の中で過ごしたいと思っている都会の子供達が自分の意思で1年間「えん」で過ごすことです。私は最初、子供達の輝いている目に惹かれました。一緒に生活する中で、魚のさばき方や魚のことをたくさん教えてくれた魚博士の留学生や、「えん」内の植物案内してくれた植物博士の留学生、島の情報をくれた新上五島町が大好きな留学生、皆イキイキとしていました。また、今まで宿題をしたことはなかったけれどこの島ではやりたいことがたくさんあるから一番に宿題を終わらせる、子供達が留学して半年でここまで成長したと私は聞きました。この子供達の博士ぶりの知識と成長はどこから来るのか辿ったところ、そこには新上五島町ならではの環境と温かさがありました。島ならではの少人数の学校だからこそ、子供達一人一人の個性を伸ばせる環境がある。多くの島民がこの島が大好きだからこそ、留学生たちに島で色んなことを体験させてあげたいという島民の温かさがある。子供達の輝いている目は新上五島町そのものを表していると私は感じました。そして好きなものをとことん追求する子供達の姿から、私はそういう姿に憧れると同時に忘れかけていた大切なことを教えてもらいました。
私は最初、新上五島町の読み方も分からず、島での生活にただ憧れていた人でした。
ですが、くらしの学校「えん」で生活して島民の方の温かさに触れて、いつの間にか新上五島町に惚れている自分に気づきました。
「えん」から見える水平線から昇る朝日とその朝日の光を浴びながら働くごりりんの姿を見ることから始まる毎日、「えん」に来る人々と過ごす居心地良い空間。忘れかけていた大切なことを「えん」からたくさん教えて頂いた私は、就業と同時に学校の生徒でもあったと思います。たったの2週間で卒業してしまった学校。「えん」Tシャツの後ろの文字は「ありがとう、新上五島」です。私にとっての「えん」の卒業文集はこのレポートな気がするので、「ありがとう、新上五島」という感謝の気持ちで締めたいと思います。そして、ここからが新しいスタートでもあり、私の番でもある気がします。それは、私がこの島で吸収したことを私から多くの人に発信していくこと。ごりりんから教えて貰った「(観光地が教会ぐらいしか)ない、がちょうど良い。島ならではの時間と雰囲気を感じるには最高の場所。」という魅力が「五島はよかよ〜」と島の愛が止まらない島民の温かさが一人でも多くの人に届くことを願って。