島キャン実施レポート

都会では忘れ去られた、「生きる上で本当に大切なこと」に気付かせてくれた2週間

2019年夏 新上五島町
くらしの学校「えん」
9/12-9/25
一橋大学社会学部  塩谷敏規
~2週間の自給自足生活を通じて~
「自分だけのこだわりを持つこと」で仕事へのやりがいが生まれる
家族全員で味噌づくり!

2週間の仕事を通じて、はたらく際に一番大切なことは、タイトルの通り「自分だけのこだわりを持つこと」だと感じた。そして島で出会った方々は皆、これを持っていたように私は思う。特にくらしの学校「えん」の大黒柱、ゴリリン(代表)の仕事へのこだわりは相当なものだった。彼の本業は塩作り。島で塩作りをしている方は20人ほどいるのだが、ゴリリン以外の方は全員ステンレス釜を使っているそうだ。ステンレス製のものはさびることはなく、塩を作る時に余分な沈殿物も発生せず、比較的少ない手間で多くの塩を作ることができる。しかしゴリリンが使う釜はステンレスではなく、鉄でできた釜だ。こちらは3年ほどでさびてしまい、その際は交換が必要だそう。実際に自分が鉄釜の見学をさせて頂いた際も、随所にさび付きや塗装の剥がれが見受けられ、そろそろ交換が必要なのだなと感じていた。それでも鉄釜を使う理由を、ゴリリンは自ら誇らしげに語ってくれた。「鉄釜は確かに手間はかかるし、沈殿物ができるからそれを取り除いたりするのも大変なんだけど、なぜか鉄釜で作った塩はステンレスには出せない優しい味がするんだよね(殆どの塩にある、辛さに似たしょっぱさが小野家で作る「手塩」にはない。実際に味見をした時に、素人目にも分かった)。半年くらいステンレスに逃げたこともあったけど、結局鉄釜じゃなきゃ小野家の塩じゃないと思って、大変だけど戻したんだ」この言葉を聞いてから、自分も「これだけは譲れない」と誇れるものを作りたいと強く感じた。

そんな自分も、島の2週間の暮らしで誇れることが一つだけある。それは、島キャン生の中で一番文章や写真を使った記録をたくさん残した、という自信だ。持ってきた一眼レフカメラで平均で1日あたり100枚以上写真や動画を撮影し、島キャン事務局に提出している日報でも1日2トピックは必ず文字に起こすと決めて、それをやり抜いた。そんな中、就業後に本当に嬉しいことがあった。ゴリリンの奥さんのちーちゃんが、「えん」のブログに自分が撮った写真を紹介文付きで掲載してくれたのだ。私は子供たちの写真や「えん」近くから見える風景を毎日記録して、感謝の意も込めてちーちゃん宛てに「記念になれば」と思い写真を送っていたのだが、まさか「えん」のページに載せてくれるとは・・・。写真を撮ることは仕事ではなかったが、「自分ならではの価値」を出せる部分ではあったので、そこを拾って頂き、ちーちゃんの言葉で紹介してもらえて胸が熱くなった。自分がこれだけは!と思って想いを込めていたからこそ、取り上げてもらえてとても嬉しく、いわゆる「やりがい」にもなった。

ブログの文章を読んで(詳しくは『千鶴がつづる~塩屋の嫁日記~』で検索!)、ちーちゃんの文章は本当に柔らかくて、読み手を自然と引き込む力があると感じた。これも他の人には出せない、ちーちゃんならではの力だ。島を出る日に、自分が泊まらせてもらっていた部屋を掃除していた時、偶然ゴリリンとちーちゃんとのなれそめの話が掲載されていた雑誌を見つけた。ちーちゃんは20代前半に慢性の病気にかかってしまい、落ち込んだ日々を過ごしていたのだが、ゴリリンが「君にしかできないことがある」と言ってちーちゃんと付き合い始め、結婚までたどり着いたそうだ。ちーちゃんは今も治療を続けながら、「えん」の日常を紹介するブログ活動や自家製の食料作りなどに、日々汗を流されている。このように、「えん」のお二人は自分にしかない能力を最大限発揮し、お互いを尊敬して支え合って経営しているからこそ、くらしの学校「えん」は19年間も皆に愛される場所であり続けているのだと感じた。はたらくことは、「自分だけのこだわりを持つこと」と考え、日々全力でぶつかれば、とても充実した日々を送れるのではないか。以前は社会人になるのは嫌だなと思っていたが、島での2週間を通じて、はたらくことへの価値観を変えることができた。来年からの社会人生活の前に、本当にかけがえのない経験ができました。

「何もない」からこそ生まれる、地域の絆
ゴリリン×島キャン生×「えん」で働くパートさん。家族のような温かい付き合いが羨ましかった!

「何もない・・・。」この島に来て一番に思ったことだ。「えん」の周りは電波も圏外で、民家もない。スーパーも車で20分かかる。普通にしていればお金を一銭も使わない状況であった。自給自足生活ということで、「えん」にいる人以外と交流する機会は殆どないのかな、と不安に感じていた。しかし、その心配は無用だった。自給自足生活をしながらも、「えん」の暮らしは多くの方々との密接な結びつきによって支えられていたからだ。風呂焚きや塩作りの火おこしに使われる薪は地元の廃材業者さんから、魚は地元の漁師さんから、お米は兵庫県の農家さんから塩と物々交換で手に入れている。また、年に一度の一大イベント椿油絞りにも、島内外から多くの方々が参加し、収穫後は30人超の大所帯で楽しい食卓を囲むことができた。このように、「えん」には多くの人が関わっており、その人達の支えのおかげで生活が成り立っている。島という狭いコミュニティだからこそ、周囲の人間関係を大切にしないと生きていけないし、その街にある限られた資源を大切に使わないといけない。「何もない」からこそ、地域の人同士で密な関係を築き上げ、島民一丸となって日々の生活を実りあるものにしている。そう考えると、この島全体が自給自足生活を送っていると捉えることもできるかなと感じた。島民の方々の密な繋がりを身を持って体験する中で、この地域の絆は、この島には「何もない」からこそ生まれてくるものなのだなと思った。それは、島の人々が非常におしゃべり好きな所から見えてきた部分である。都会に生きる私たちは、スマホやパソコンで誰とでも簡単にインターネット上でコミュニケーションを取ることができる。そのため、友達同士で集まっても、全員が黙り込んでスマホの画面に夢中、といったシーンによく出くわす。恥ずかしながら自分もその一人になってしまうことがある。話をしそびれてもLINEがあるし、その場で会話を全力で楽しもうという気持ちが薄いのかもしれない。一方、島ではSNSを利用している人は殆どいないし、「えん」でもゴリリンとちーちゃんはLINEをインストールしていなかった。だからこそ近況報告はありったけのおしゃべりによっておこなわれるし、自然と話が止まらなくなるのではないか。その結果その人のことをありありと良く知ることができ、関係が深まるのではないか。一人一人がこのようにして地域のネットワークを築き上げていることで、地域の絆は非常に強固なものになっているのではないか。二週間地域のコミュニティにどっぷり浸かる中で、そんなことを考えていた。時を忘れるほどおしゃべりにのめり込むなんてことは、都会の生活では忘れ去られてしまっているように思う。多くの人と繋がれるようになった一方で、一人一人との繋がりは希薄になってしまっているのかな。これからは、ネット上ではなく面と向かってのコミュニケーションをより大切にして、生活していきたい。

島で子供を育てるという選択
中学校の体育祭!保護者・先生・生徒が綱引き前の円陣を組んでいる所。

私は「えん」で、5人の子供たちと一緒に生活する機会に恵まれた。そしてそのうちの4人は、都会から来た離島留学生の子たちだ。離島留学とは、都会の学校から転校という形で島の小学校に入り、留学受入先の家族の方と期限付きでともに暮らす制度のことである。子供が田舎で暮らしたい!と考える理由は何となく推測できるのだが、親はなぜそれを許すのだろうと少し疑問に思っていた。その答えの一つは、人口が少ないがゆえに、非常に密な教育を受けられるからではないかと考えた。「えん」の子供たちは、小学生はスクールバス、中学生はスクールタクシーを利用して、毎日通学していた。小学校に至っては全校生徒が20数名にも関わらず、バスが出ている。クラスは2学年で1つ、クラスの人数も合わせて10名いかないということで、生徒一人当たりに対する教育費用が非常に高い。また、「えん」にも、校外学習で低学年の生徒3名と先生1名が来て下さったことがあった。その時も往復タクシーの送迎があり、教育に対して投資を惜しまない文化があるのかなと感じた。(スクールバス・タクシーの費用は市が出しているそう)

こうして見てみると、義務教育の世界でも政治の世界でいう「一票の格差」問題と同様のことが起こっているように思う。都会の学校では、校外学習で外に出る時に、交通費が市から出ることなど殆どない。それに先生も30人以上の生徒を1人で見なければいけないため、生徒一人一人にかまっている余裕もない。実際に、「えん」に来ている山村留学生の一人の子は、向こうの学校でいじめられていた時、先生は殆ど聞く耳を持たなかったそうだ(その先生の問題かもしれないが)。しかし、少なくともその子の「えん」での行動を見ていると、口げんかは毎日しているもののすごく楽しそうに過ごしているし、先生とちーちゃんの間では何度も面談がおこなわれているという。先生の面倒見も非常に良い。そして極め付きは学校行事だ。中学校の体育祭を見に行く機会を頂けたのだが、そこの運動会には衝撃を受けた。生徒は勝ち負けを競って相手を倒す勢いで、というよりは生徒全員で行事を楽しもうとする雰囲気が出ていたし、プログラムの半数近くはご両親や地域の方が参加できるものだった。地域一体となって学校教育がおこなわれている証を垣間見ることができ、大きな感動をもらえた。

このようなのびのびとした環境で学べて遊べて、教育投資も公的費用から多く出るのであれば、多少の不便があっても山村留学・離島留学させる価値は大いにあるのではないか。いつか自分に子供ができた時は、こういった所にアンテナを張っておき、いつでも子供たちと相談できるようにしたい。

上五島(新上五島町)には世界遺産も!写真は頭ヶ島教会。
就業とは別に、上五島名産のアゴ(トビウオ)の水揚げ体験もさせて頂けた!
上五島に就業した島キャン生全員と、高井旅海岸で大ジャンプ!