海士町にいる人、来てる人とは。
現在大学3年生ということで来年から就活を迎えます。そんな中行った唯一行ったインターンシップでした。働くということに関してはアルバイトから学ぶことができると思いますが、海士町で働くのは少し得られるものが違いました。島キャン全体に言えることですが、普段の生活圏ではないような就業先が多いので、まず体験という部分では新しいものが多いと思います。
働くという部分で最も感じたことが、人と接することです。人とは職場の人だけではなく、職場にこられた人(お客さん、島の方々)も含みます。海士町の就業先では、職場と相手の距離が近く、相手を良い意味で意識することがありました。結果的にはそういった人たちともたくさんお話しすることができ、視野も広がったと思います。
働く上で人との関係性は重要ですが、それは身内だけではなく、一度でも関わる人も、関われば少しでも何かきっかけやその時進めていることに対するヒントを自分が得たりすることにも成りうるのではないかと感じました。
海士町は人口の割合でIターンの層(移住者も含む)が増加しており、ワーキングツーリズムとしてこの島にやって来る学生も、社会人も多いと感じました。実際、私がお世話になった観光協会やの中でも隠岐以外の場所から移住してきた方々の割合は高く、船渡来流亭でもヘルプを含め移住された、引っ越して来たという方は多かったと思います。
このように、海士にはよそから来て、結果生活をすることになったという方が多いのはなぜなのかは、現地で購入した山内道雄氏の『離島発 生き残るための10の戦略』という本を読ませていただき、自分なりに整理もしました。ただし、実際に自分自身が生活し、いろんな場所に出向いたりいろんな方々と話すうちに感じたことも多いです。
Iターンの話とは少しずれますが、島には島ごとの独自性があります。海士町は隠岐諸島の島前の一部にあたりますが、平成の大合併でお隣の西ノ島町、知夫村と合併するかもという話があったそうですが、現在も3自治体のままです。私は隠岐が島後のイメージがありそんな相違はないだろうと思っていましたが、実際に3島それぞれ赴いてみると、雰囲気や目に見えるよそ者の受け入れ方が全く違うのです。海士町に比べて西ノ島町と知夫村はジオサイトが豊富で観光資源となっており、夏場は一定数のよそ者が来ます。海士町はそういった観光資源が皆無に等しいのです。しかし、3島のうち最も栄えている、正しくは人の活気を感じたのは海士町でした。西ノ島町も知夫村も観光資源はあるのですが、入口となる港からどこか寂しい空気を感じました。もちろん、滞在時間が圧倒的に短く、島民の方とお話をしたのは食事の時や観光協会での会話くらいですから、裏側が見えなくて当然です。とはいえ、それらを考慮しても私が最初に海士町に来島した時と比べてもその差は感じます。
これらから各島がそれぞれ自分の足で独立して歩むことを選んだのは当然だったように思えました。なにせ主要産業も違うし、考え方も違います。こういった部分はその島なりのやり方、考え方、見方があるのでしょう。
海士町の話に戻りますが、海士町は観光資源がまともにないこともあり、自らブランド品を作り、島の雇用を生み出したり、外への繋がりを生み出したりと、人が動く島づくり、街づくりを行ったのではないかと感じました。そこからよその人が入ってきて、異なる価値観が共存し、また島に何かしら影響を与える期待があるように思います。冒頭でも述べましたが、海士町で出会った方々には本当に多くのよそから移住してきた方がいます。こういった方々の層は海士町にそれぞれ魅力を感じて来た方で、ワーキングツーリズムで一時的に滞在する私たちのような層と共に、島に行き来する流れがもっと生まれてくると思います。
海士町に限らずインターンシップ前後で出会いはたくさんありました。インターン中もそうでしたが、自分が最も考えさせられた機会をこのフリー記事に書きたいと思います。内容は見出しの通りですが、簡潔に述べると、島出身の若者と島に来る若者(働く世代)のことです。
私は離島の前日にサイクリングをしている際に、ふと見つけた書店に立ち寄りそちらの店主さんとお話しすることができました。その際に聞いていて感じた、考えさせられたことを伝えたいと思います。
やはり、海士町のお話となると当然Iターンやブランド品の話になってきます。お話を伺い、全体的に感じたことが、海士町のよそ者を受け入れる体質はあれど、若者に対する扉はどうなのかというところです。
Iターンには補助が出ますし、若者にも出るとこは出る(限られた職や層)らしいですが、若者の大多数は島を離れるという現状があり、それらの歯止めがきかないというのです。この問題は現在の日本のどの地域でも当てはまることですが、やはり職が限られているというのが原因です。意志や希望にそぐわない選択をするくらいなら、選択肢の豊富な都会へ出るというのは当然の流れかもしれません。こちらの島の場合は、Iターン(移住者)は多く来ていますが、島に住む若者に、私のようなよそから来た学生や社会人のワーキングツーリズム(インターンシップ、ワーキングホリデー等)のような、異なる場所へ行け、視野を広げられうる機会はないのでしょうか。もちろん島の中では難しいことだと思わざるを得ませんが、移住者が多いこの島の魅力をよそから来た人の手で島の若者に訴えていくのか、よそへ送り出すためのバックを造り、Uターンの流れに持っていくのかの二択になるように思います。個人の意思で出て行き、かえってくる保証などありませんので、現状の歯止めがきかない部分に、Iターン頼みにならないか不安視できなくもないのです。
しかし、Uターンという部分で視点を変え考えますと、確かに地元に残り、後を継いでくれるなどして、労働人口になってくれることが一番ありがたいことですし、増えてくれば、若い世代の減少率は低くなるでしょう。とはいえ、若いうちは競争のある環境、あるいは自分のやりたい環境で揉まれ、何年かしたらまた島(地元)に戻ってくればいいという考えも大いにあると思います。各自が自身のやりたい、島には無いような行きたい環境に飛び込むことは、島では得られなかった価値観や経験を持つことになります。もちろん、その個人が行った先にどこまで馴染めるかという問題はありますが、確かに、私が海岸管理の業務をしている時にお話しさせていただいた方にも、若い奴は都会に出てもまれろ、こんなとこにいても何も見えない、と言われたことは印象に残っています。
上記のように選択肢の豊富な環境に飛び出て、多くの価値観や知識や関わりをもって、また島(地元)に戻ってきて、仕事をしてくれるのならば、島にとっては非常にありがたいことだと思います。いわゆるUターンの一つなのですが、働き手となる点は島にとってプラスです。
仕事とは言いましたが、単に既存の産業の後を継ぐことや、就職するというだけではなく、島には無かった、島の外と繋がるような新しい事業で盛り上げられるのならば、なお島(地元)としてはプラスです。若者の将来の選択肢を増やせるだけではなく、島のブランドを外に、あるいは地元では普通だったあるものがビジネスの対象ともなる可能性もあります。一時的に若者の層が減少することは避けられませんが、いかに戻すのか、いかに島を変える材料を生んでいくのか、こういった将来のことを見据えることの方が大切なのだと感じます。
私が読んだ本にも記載されていましたが、将来のことを見据えて様々な政策を行ってきてのが海士町です。現在はわかりませんが、IターンとUターン、それも働く世代の人口は、もしかしたら今後は両者が増加してもおかしくはありません。可能性はいくらでも埋まっているように思います。
海士町に限らず、人口減少に悩む地域はほとんどですが、単に最近言われる観光振興よりも、いかにリピーターやその先の居住者を引っ張るか、そういった視点で物事を考えることも必要なのかもしれません。