島の人の中で暮らすということ
あしたの加計呂麻島プロジェクトは、明日の予定が前日に決まったり午後に急に予定が入ったりし、集合時間もその日の予定によって変わりました。そのため、急な予定変更にも柔軟に対応することが重要でした。とくに、自炊、洗濯、掃除の段取りが崩れてしまうということも多くあり、私は今まで家事をきちんとしてこなかったため、最初生活をこなすこと自体に苦戦しました。だんだん家事の手際がよくなったり、「今は面倒だから、後でやろう…」という気持ちをぐっとこらえて、やれる時にやってしまうようにしたりと工夫すると、生活のリズムをつかむことができました。また、島の人との時間の認識の違いが小さなトラブルを起こしたこともありました。朝ごはんや洗濯などをする前に散歩をしていた時、たまたま区長さんに会い、支度を済ませたらすぐ来るように言われました。私は、朝の家事を済ませたら行けばいいと認識してしまいましたが、区長さんは身支度を済ませたらすぐ来てくれという意味でした。私はこの時、もっと具体的に時間を確認しておけばこんなトラブルも起きなかったのに、と反省しました。その他価値観が違うこともあり、自分の感覚をどこかで当たり前に捉えてしまっていることに気づかされました。
しかし思い返せば、仕事に関して言われたり感じたりしたことは島だけではなくどこでも通用することでした。ただ、それを口で言われれのではなく身をもって体験できたのはとても大きいことでした。
コンビニも大きなお店もない加計呂麻島は、食べ物を自分で育てたりとったり、ものを自分で修理したりと"自分で"やることが多かったです。確かに、都会ではお金を払えば、お店の店員や業者さんがやってくれます。島では、自分でやるか、近くの人に頼る必要があります。自分でやる場合、時間や手間がかかります。しかし、そうした"遠回り"をすることで、得られる感動やありがたみは、人生を豊かにするために必要不可欠なものだと思いました。それに、都会でお金を払って自分の時間を手に入れても、空いた時間ですることはスマホをいじることだったりして、一面的な考え方ですが、都会の空虚さを実感しました。また、近くの人に頼る場合、普段からの信頼関係が必要です。日頃ある集落作業に参加することや積極的に人のお手伝いをすることで、築けるものだと思いました。ただ、近所の人は過干渉であるとも捉えることができ、特に都会から来たIターン者は個人主義的な都会とのギャップに戸惑うこともあるそうです。
このように、都会と地方は違うところがたくさんありました。実際、人との関係が密すぎることの大変さも実感しました。しかし、島での活き活きとした暮らしに、そこに住む人たちの笑顔に、魅せられました。
島での生活は、何もかも自分の予想以上でした。
実際、シャワーもなく網戸もない公民館での生活は自分が思っていたよりも過酷でした。心がだんだん疲れて来て、とにかく人に会いたくて仕方がなかったです。一度だけ、大島のコンビニに行った時、不思議な安心感を感じ、嬉しくて何周もしました。こう行った思いは、地方を夢見ていた私にとって、結構衝撃的なことでした。結局、自分も都会にかぶれているなと思いました。
ただ、その時に見る海に、集落の人とのおしゃべりに、炊きたてのご飯に深い感動を抱きました。それは生活に慣れて来た後も、変わらないことでした。自分ですることで、回り道をすることで、得られるものの大きさを実感しました。
インターンが終わって、島キャン事務局の方に今回のインターンの満足度を尋ねられました。そのとき、私は迷わず「120%」と答えていました。