喜界島が教えてくれたこと
私の島での主な仕事は、喜界島サンゴ礁科学研究所に併設しているカフェの運営と、サンゴミュージアムの案内をすることでした。またそれに加えてサンゴBarを開催する機会がありました。私たちはその宣伝のためにTwitterやFacebookで情報を発信しました。しかしBar当日、お客さんは1組だけしか来ませんでした。現代のネット社会では、SNSで情報を発信すれば伝わると思っていましたが、島でそれは通用しないということを痛感しました。反省点をみんなで話し合った結果、宣伝不足であり、紙媒体での宣伝と、開催までに十分な期間が必要だという結論に至りました。すぐにチラシの制作にとりかかり、島の人が目に入りやすい場所に貼りに行きました。その際島の方全員が、チラシ貼りを快く引き受けて下さり、人の心のあたたかみを感じました。残念ながら私の就業期間中にはBarの開催が実現できず、次のタームの島キャン生に引き継がなければいけなくなってしまいましたが、チラシの宣伝効果によってBarは大盛況だったという報告を受けました。情報は発信するだけでは不十分で、それが受け手に伝わって初めて情報といえるのではないかと考えさせられました。
島での生活はすべてが新鮮でした。透き通っている綺麗な海、さとうきび畑の一本道、鍾乳洞、天の川・流れ星を臨める満天の星空。私が想像していた島の景色がそこにはありました。しかし、島はただすばらしいだけではないということを知りました。喜界島は第二次世界大戦の時、特攻機の離着陸がおこなわれていました。米軍機の猛爆撃を受け、神秘的な鍾乳洞も防空壕として使われていたそうです。島を観光した際、島の人の話を聞いて初めて知った事実です。また、後日調べて知りましたが、喜界島には戦争に関わる歴史的な建造物があります。私はその建造物を見ることなく終わってしまいました。私が島にいたのはたった2週間で、その期間に知ったことは島の一部にすぎなかったということがわかりました。島のことを語るにはもっとたくさんの時間を過ごさなければいけないと思いました。また絶対喜界島に行って、もっと喜界島のことを知りたいと思いました。
島での生活は、私が想像していたよりもずっと便利で、近くにはスーパーがあり、車さえあれば100円均一ショップや飲食店などに行くこともでき、とても充実した日々を送っていました。しかし、就業期間中に大型の台風が直撃しました。テレビのニュースを見ても本州の情報ばかりで島の情報はほとんど入ってこない。また台風が近づいたら船が来れないため、食料が不足する。事前に食料を買い溜めたり、台風が来たら大体停電するので、充電できるものは今のうちにしておく、など島の人は慣れているので普通のことなのかもしれませんが、私は何をしていいのか全くわからず、手探りの状態でした。案の定、台風が直撃して停電しました。真っ暗な中 水風呂に入ったり、クーラーなしでうちわだけで熱帯夜を過ごしたり、普段したことのない経験をたくさんしました。幸いなことにキッチンはガスだったので、食事はできましたが、冷蔵庫もつかず、1日中クーラーなしで過ごすのはとても大変でした。電気がついた瞬間はみんな声を出して喜びました。台風の被害が大きく、電線が切れている所が多かったのですが、それでも1日で復旧したのですごいなと思いました。普段どれだけ楽に生活できているかに気づくことができました。電気があることは当たり前じゃない。島での生活の大変さも知ることができました。