自然は人の心を育む場所
与論島の一番の観光名所、百合ヶ浜のある大金久海岸で、マリンレジャーショップ「TANDY MARINE」が就業先でした。大金久海岸で、シュノーケリング、SUP、ウミガメと一緒に泳ぐなどのツアーを提供していました。仕事内容は、お客さんへライフジャケット・シュノーケリングの準備・貸出、大金久海岸への道案内というとてもシンプルなものでした。簡単な仕事だと思っていましたが、それはお客さんに楽しんでもらうための必要事項でしかないことを学びました。ライフジャケット・シュノーケリングの貸し出しのタイミングやツアーの1時間から2時間の限られた時間で、お客さんに最高に楽しんでもらうには、その時間内にお客さんの心をキャッチしなければなりませんでした。そのためには、明るい挨拶・丁寧な説明・ユーモア満点のツアーガイドが必要でした。もちろん天候に左右されながらの仕事になるので、海のコンディションが悪い時やウミガメがいないときには、それらの力がなにより必要になります。そして、常にお客さんに楽しんでもらい、リピートしていただかないと収入につながらないので、マリンレジャーの仕事は意外とシビアだなと感じました。しかし、お客さんと海・自然への真摯な姿勢は、最高のエンターテインメントを提供をすることができます。この姿勢は、今後どんな職業に就くときも必要だと思います。これを学べたのも、「情熱をもって仕事をすること、常に”きれい”を心掛ける、人との出会いを大切に」という社訓に出会えたからだと思います。その重要性が肌感覚で体験できたことは、ほんとにわたしにとって貴重な体験になりました。ありがとうございました。
与論島は癒しの島です。与論島の最大の魅力は、綺麗な海と澄んだ空に、道路わきに咲き誇る色鮮やかな花々とサトウキビ畑、自然の偉大さ・生き物に敬意を示す心の綺麗な人々だと思います。地元の方も移住してきた方も含め、島に住んでいる方々のコミュニケーションをとる中で、与論島の大自然に魅了されて住んでいる人がほとんどだと感じました。旅行でくる人も、東京での忙しい生活や人生を見つめ直すために与論島へ来たという人が多かったです。
そして、「離島」といえば過疎化が問題になっているので、与論島にもそのイメージをもっていました。与論島の生徒数は案の定少ないと思ったのですが、小学校は3つ、学年は2クラスあり、中学校、高校までありました。娯楽施設は少なかったものの、テトラポットから海へダイブする子どもたちは、無垢で純粋な子たちが多かったです。
私が、与論島で衝撃を受けたことは、与論島は、薩摩藩が決める前までは琉球王国の一部だったこと、戦後、沖縄と同時期にアメリカの占領下にいたことです。だから、琉球文化と奄美文化が交じり独特の文化を形成しています。小さい島で目立たないかもしれないですが、アメリカの占領下だったことは事実であり、日本人として忘れてはならない過去で、受け継いでいかなければならないと思います。
!!!!感謝!!!!
こんなに人の優しさに触れた2週間は、今までなかったと思います。そして、「人生の豊かさ」とはお金が沢山あることではなく、「心の豊かさ」だと学びました。
宿泊した民宿では、素泊まりという約束だったのに、宿のおばあちゃんは、朝食にゆで卵やフルーツをふるまってくれました。休日にサイクリングをしている途中にパンクし、途方に暮れていた私を、通りすがりのおじちゃんが宿まで届けてくれ、自転車の修理までしてくれました。この島の人の優しさについて、就業先の鬼塚さんと話すことがありました。「台風も多く、離島だから外からのものはすべて時間とお金ががかかるから、何事も助けあうっていうのがヨロンだよ」とおっしゃっていました。自然がすべてコンクリートに替わってしまい、なんでも手に入る都心部で生活をしていれば、この発想は生まれないと思いました。また新たな発見です!
そして、台風への向き合い方も全く違います。テレビでは、台風によって交通機関のマヒが起こり都心部が混沌としていました。与論島でも台風対策は一苦労で大変です。マリンレジャーの予約も一切キャンセルになり、その日の収入はゼロになります。しかし、そんな中でも、海水や藻をかき混ぜ、海水温を下げる働きがあり、海には台風が必要なのです。山のない与論島の水資源になるため、与論島にも台風が重要であることを、人びとは理解しています。そのため、台風のたびにイライラしているのではなく、しょうがないからゆっくりしようと心に余裕ができていました。ちょっとしたことかもしれないですが、自然と生きないとわからないことです。
与論島にきて、多様な働き方・考え方・生き方を学びました。忘れられない貴重な体験をした2週間でした。
出会ってくれた人・与論島の海にとーとぅがなし!